2018/07/26 11:27

日本茶が、ブームなのでしょうか。


多様なメディアで紹介されている昨今、日本茶を扱う私としては喜んでいいのか、あるいは。と思う毎日です。直感的には、怖いなと思うのが正直なところなのです。

私の考え、ちょっと聞いてくださいませんか。

インスタグラムなどSNSを開けば、「いい感じ」にレイアウトされた喫茶風景がたくさん出てきます。ちょうどよくトリミングされ、調度品も整えられています。写真のエフェクトもほどよく使用されて、油断すると「自分の暮らしはなんてみじめなんだろう」なんて思わされそうになります。ためしに #日本茶 といったタグで検索してみてください。私は、ちょっと気持ちが参ってしまいます。

主役はあくまでも「いい感じな私」で、それを人に見てもらうという承認欲求を満たすに過ぎません。(すいません。あまり言葉を選ばずに言っています…)

もちろん、私もSNSは多用しています。だからそんなこと言えた口ではありませんが、少なくとも私はお茶を淹れてそれを飲む風景を、人に見せたいとは思わないほうです。

なぜかというと、お茶を飲むのは、私にとっては喉の渇きを癒したり、ちょっと一呼吸おいたり、ただ何気なく口にするだけに過ぎないからです。それはとてもプライベートな行いであり、「なんでもないこと」だからです。

その風景だけを切り取ることに、あまり意味を感じません。
切り取って捨てられた周辺の風景は、きっと散らかっていて、洗濯物とか洗い物や読みかけの本、
子どもの食べこぼしや電子機器のケーブルでいっぱいになっているかもしれませんね。

でも、そっちのほうが大切ではありませんか。
だって、私たちは仮想の世界に生きているのではなく、実際に息をして、心臓は脈打ち、喉が乾いたり風邪をひいたりする生身のいきものだからです。ごちゃごちゃした、ぜんぜん整然としていない複雑さの寄せ集め。それって、唸ってしまうほどすごいことです。

こんなことを言いながら、しかし思うのは、きっとみんな、すでに感じているのだろうなということです。もっと自由になりたい。ごちゃごちゃしていてもいい。いい感じでなくても、構わない。

生きてる。それを謳歌したい!

だから私は、いい感じに日本茶を紹介することがとても苦手です。それを意識してしまった途端に、日常からどんどんと離れていってしまうように感じるからです。

おいしいお茶をご紹介している自身だけはたっぷりにあります。見た目もちょっとくらいはがんばっていますが、でもこれ以上はがんばれません。

そうするくらいならば、お茶を淹れて飲みたいです。自分や、一緒にお茶を飲んでくれる人のためです。
こんなふうに思う人間ですが、小さな商いをやっています。