2018/07/20 20:05

こんにちは。突然ですが「少女倶楽部」という雑誌をご存じですか?
1923年から1963年の間に現在の講談社が発行していました。

良妻賢母の女性像を前面に推す内容で、また時代が時代であるだけに、
肯定的に戦争をとらえた内容が非常に多いところは今読むと衝撃的です。

ひょんなことから私はこの雑誌のある記事を大阪の国際児童文学館で探すことになったのですが、
持ち出し厳禁の貴重図書であるこの雑誌をぱらぱらとめくっていたところ…
昭和19年5月号の巻頭に、お茶に関する記事があるのをたまたま見つけたのです。

そこに書かれていたことは、今の私たちが嗜好品、あるいは日常の飲み物として楽しむ
日本茶の姿とは全く異なるものでした。

その内容はお茶を扱う者として記憶しておきたいし、せっかくのことならば
この記事を読んでくださる方のために共有したいと思います。

昭和19年は、サイパンの日本軍が全滅し、神風特別攻撃隊が結成され、米軍がレイテ島に上陸し、
各地に空襲があった年です。敗戦がきわめて近い、厳しい時期であったことを前提にしてください。

(記事を執筆した川島四郎さんは陸軍の軍人で、かつ栄養学者でした。
彼が死没したのは1986年で、著作権は一般に死後50年は維持されると聞いていますので
ここでは一部を引用するに留めたいと思います)

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「お茶殻を食べませう」
(「少女倶楽部」昭和19年5月号、大日本雄辨會講談社、p.9)

野菜がない、野菜がたりぬとこぼしてゐないで、もつと頭を働かしてみませう。

野菜の代りに野草も大いに利用すべきものですが、冬のまつさいちゆうには
野草も手にはいりません。その場合の野菜の代用となるもので、りつぱなものにお茶殻があります。

(略)

今、五人家族の家庭で朝昼晩の三食の時とその間にのむお茶殻を、いきなり
ごみ箱へ捨てないで、大皿の上にあけて一日中ためてごらんなさい。
じつに驚くほどたくさんあります。たぶん今ごろの一日の野菜の配給量よりも
多いくらいです。これはお茶殻とはいひながらりつぱな野菜です。

(略)

お茶殻を食べることは、何も今さら新しいことでなく、江戸時代の武士の家庭では、
質素の心を養うたしなみとして、お茶殻に醤油をかけて食べてゐたものです。

(略)

朝の味噌汁に、野菜の代用としてお茶殻を入れるとおいしいものです。
油があればフライパンで油いためにすると、いつてゐる内に、つまみ食ひの
したくなるほどかうばしいよいかをりがして来ます。
からあげもよいが、衣の材料があればかき揚げもまたよいものです。
塩漬の漬物にもなりますし、きざんでご飯の中や雑炊の中に入れてもよいものです。

工夫すれば、いろいろよい考へが出て来るでせう。

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いかがでしょうか。ここには、いろいろな気付きが潜んでいます。

まず、大皿のうえに驚くほどたくさんの茶殻がたまるということ。
当時のお茶の消費量の多さを思わせますね。
お茶で商売をする私の家でさえ、そこまでたまりません。

また、茶殻を食べるということは、それなりに柔らかくないとできません。
煎茶のような、比較的柔らかい葉を中心に使ったものがメジャーだったのでしょうか。
固くて繊維質の番茶ではなかったのでしょうか。

何よりも、物資が不足した時代に、野菜の代用品としてお茶が提案されたことに驚きました。

現代のわたしたちが、オーガニックとか、産地のこだわりとか、好みの茶種、お気に入りの茶器、
淹れ方、味わいと香り…などといった事柄について様々に選択肢があるのとは全く次元が違っています。

あるものを、どうにかして食べ、無駄をなくし空腹をしのぐ。
お茶にも、そのような時代を駆け抜けた過去がありました。

もちろん、現代のお茶の楽しみ方を否定したいわけではありません。

飢えの時代に、お茶が身の支えとなったこと。
それを知っておくだけでも、おいしいと思うお茶の幅が広がるのではないでしょうか。

今までよりももう少しだけ広い心をもって、お茶を飲めたらいいなと私は感じています。